| Home | Speyside in 2001| Northern Highland in 2003 | Islay and Campbeltown in 2004| Southern Highland in 2005| Western Highland in 2006| Speyside in 2007| Western Scotland in 2008|

世界が動く時

5月3日、私は念願のNorthern Highlandへ向かうべく、シベリア上空をJL425は一路Parisへ向かっていた・・・ってなんでこーなるの。

年明けより世界情勢が緊迫していた。しかし仕事の目途もたち、GW明けに休暇の取れるこの機会の逃す手はない。ある程度の計画を立てて日程を決め、Londonまでのエアチケットを購入した翌日、今回も事件が起こった。イラク戦争の開始である。ま、しかし前回と同じこと、そんなに影響はでないだろうと思って旅行の準備を進めていた。
しかし予想通り収束に向かった戦争と入れ替わりに今度はとんでもないものがやってきた。

SARSがやってきた〜

新型肺炎の流行である。しかし発生してるのが香港と中国ということでそんなに影響はでないだろうと思って予定通り旅行には行くつもりでいた。ところがところが航空会社は大きな影響を受けた。乗客の減少により、通常の運行が出来ずに国際線の減便が発表された。これに唯一の大阪−London直行便、JL421が含まれていて、月、水、土が運休となった。まさかゴールデンウィーク中の土曜日が運休されるとは思ってもみなかった。
JALに連絡をとったところ、パリ経由の代替便を用意しているとのこと。2時間程余分にかかるがパリでの待ち時間が1時間と乗継も一番スムーズな便。Heathrow着が1時間程遅くなるが、今回は土曜日の移動だったのでHeathrowの乗継が4時間もあったのだから特に問題はない。

一難さってまた一難

連休を前にして会社から旅行自粛の通達があった。危険地域に行った場合は帰国後2週間の出社停止(当然無給)になる。SARSは気にはなっていたので情報は収集していたので、Londonは伝播地域に指定されていた。が、主にScotlandに滞在することと、London以外に広がっていないことで問題はないだろうという自分の考えを上司に伝え、もし旅行中にLondonが危険地域に指定されれば、帰国後出社停止を了承するということで出発を決意。
(後日判明するが、私の旅行期間中、関西の方がはるかに感染の可能性が高かった。これぞScotlandの酒神と真っ赤な顔の天使たちのお導きなのだろう。)

5月3日、天気は快晴。長い一日が始まった。今回は英会話も勉強した。前回よりもさらにいい旅ができるはずだ。さぁ、Orkney、Northern Highlandを目指そう。